みんな、がんばった
もう一回、吹奏楽ネタを引っ張る。
自由曲で Solo を演奏する曲があるが、どの部門でも聞いている聴衆は心の中で “がんばれ!”と声援を送っているに違いない。少なくとも驢馬はそうだ。
その中でも一番印象に残ったのは、ネズミーのアニメーション映画でも大変に有名なあの曲のファゴットSolo を演奏した少年だ。
最近の学校の吹奏楽部は、慢性的な男子部員の不足に悩んでいるが、その中においても珍しいファゴット少年。それだけでもう、驢馬の心は鷲掴みにされたも同然なのに、正直、身の丈にはやや持て余し気味な大曲にアップアップしがちな演奏の中で、一人、大いに気を吐く、ファゴット少年。彼の今年の夏休みは全て、この後半でのソロ演奏に捧げられたに違いない。その姿は、驢馬の高校3年生の時の同級生の姿とぴったりと重なる。
その曲は、驢馬にもソロがあったのだが、どうしてもその曲が好きにはなれずに(その彼女には本当に申し訳ないが)さして練習もせず、お茶を濁してしまったのだ。
だから、ソロを演奏する人たちへは、プロ・アマ問わず少しだけ余計に肩入れしてしまう。
ファゴットの彼だけではない。
コンクールでは少ない、スタンドでのファンファーレを演奏したトランペットの高校生達。
彼らが立ち上がった瞬間から、曲を知っている聴衆達は “そうか。そう来るか。よし!いけ!いけ!がんばれ!!” と、演奏が始まる前から応援していたに違いない。そして、その期待に違わず、素晴らしいファンファーレを聞かせてくれた。キタラいっぱいに響き渡るファンファーレ。オーケストラのプロの演奏にも匹敵する、素晴らしい演奏だった。
残念ながら、曲全体での高い評価は得られなかったが、広いホールでたった一人で、あるいは立ち上がって演奏する事への不安と戦い、見事に成し遂げた君達は本当に素晴らしい。
来年は早起きして、B、C編成の演奏も聴こうかな。
あー、楽しかった。
ニコニコ
と終わりたいところだが、そうはいかない。
どうしても、最大に気に入らない事がある。
この北海道吹奏楽コンクール、キタラが出来るまでは北海道厚生年金会館で開催されていた。客席数は、キタラのほうがだいぶ少ない。そうすると、演奏終了前後の学生達が他校の演奏を聞けないという事態に陥るのだ。8~9割がた席が埋まると 「出演者チケットで入場している生徒は、正規チケットで入場している人の為に退席せよ」 とアナウンスがかかるのだ。
他校の演奏を一番聴きたいと望んでいるのは、出演者である彼らだろう。それなのに、彼らは何故、一階ロビーで膝を抱え、微かに聞こえてくる演奏に必死に耳を傾けねばならないのだろう。一流のプロの演奏家が使うホールで演奏出来るし、確かに厚生年金会館は音響的にも問題がある。だからこそのキタラでの開催なのはもう、重々承知だ。
だが、敢えて言う。
どうしても、気に入らない。
早い順番で演奏を終え、他校のあの有名校の演奏を聴ける嬉しさ。いい場所はもう埋まっているので、3階、天井桟敷からはるかに望む、薄暗がりの中で浮かび上がる小さいステージ。(あの頃の照明は今よりも暗かった。そして、田舎モノのため、ホールでの演奏経験も少なかった。) そして、出演者がほぼ全員集まった中での結果発表。通路の階段まで鈴なりに詰め込まれた出演者達。
発表者がさっと片手を挙げ、金賞、と言い終わるや否やの
キャーーーー!!!!
という悲鳴、歓声。抱き合い、涙とともに喜ぶ生徒達。
あの、独特の熱気。残念と歓喜の交錯する何とも言えないあの雰囲気。
それが今のキタラでの全道大会にはない、のだ。全く無いわけではない。が、ホールの中で結果発表を聞くのは、せいぜい2~3団体だ。
結果発表のドキドキを、直接聞くところまでが全道大会だと思うのだ。
あの熱気と緊張感を今の子供たちにも味わって欲しい、と思うのだ。
そして何より、他校の演奏を聴きくことこそがレベルアップに繋がると思うが、どうなのだろうか。
CDで十分、と言う事なのだろうか。
自由曲で Solo を演奏する曲があるが、どの部門でも聞いている聴衆は心の中で “がんばれ!”と声援を送っているに違いない。少なくとも驢馬はそうだ。
その中でも一番印象に残ったのは、ネズミーのアニメーション映画でも大変に有名なあの曲のファゴットSolo を演奏した少年だ。
最近の学校の吹奏楽部は、慢性的な男子部員の不足に悩んでいるが、その中においても珍しいファゴット少年。それだけでもう、驢馬の心は鷲掴みにされたも同然なのに、正直、身の丈にはやや持て余し気味な大曲にアップアップしがちな演奏の中で、一人、大いに気を吐く、ファゴット少年。彼の今年の夏休みは全て、この後半でのソロ演奏に捧げられたに違いない。その姿は、驢馬の高校3年生の時の同級生の姿とぴったりと重なる。
その曲は、驢馬にもソロがあったのだが、どうしてもその曲が好きにはなれずに(その彼女には本当に申し訳ないが)さして練習もせず、お茶を濁してしまったのだ。
だから、ソロを演奏する人たちへは、プロ・アマ問わず少しだけ余計に肩入れしてしまう。
ファゴットの彼だけではない。
コンクールでは少ない、スタンドでのファンファーレを演奏したトランペットの高校生達。
彼らが立ち上がった瞬間から、曲を知っている聴衆達は “そうか。そう来るか。よし!いけ!いけ!がんばれ!!” と、演奏が始まる前から応援していたに違いない。そして、その期待に違わず、素晴らしいファンファーレを聞かせてくれた。キタラいっぱいに響き渡るファンファーレ。オーケストラのプロの演奏にも匹敵する、素晴らしい演奏だった。
残念ながら、曲全体での高い評価は得られなかったが、広いホールでたった一人で、あるいは立ち上がって演奏する事への不安と戦い、見事に成し遂げた君達は本当に素晴らしい。
来年は早起きして、B、C編成の演奏も聴こうかな。
あー、楽しかった。
ニコニコ
と終わりたいところだが、そうはいかない。
どうしても、最大に気に入らない事がある。
この北海道吹奏楽コンクール、キタラが出来るまでは北海道厚生年金会館で開催されていた。客席数は、キタラのほうがだいぶ少ない。そうすると、演奏終了前後の学生達が他校の演奏を聞けないという事態に陥るのだ。8~9割がた席が埋まると 「出演者チケットで入場している生徒は、正規チケットで入場している人の為に退席せよ」 とアナウンスがかかるのだ。
他校の演奏を一番聴きたいと望んでいるのは、出演者である彼らだろう。それなのに、彼らは何故、一階ロビーで膝を抱え、微かに聞こえてくる演奏に必死に耳を傾けねばならないのだろう。一流のプロの演奏家が使うホールで演奏出来るし、確かに厚生年金会館は音響的にも問題がある。だからこそのキタラでの開催なのはもう、重々承知だ。
だが、敢えて言う。
どうしても、気に入らない。
早い順番で演奏を終え、他校のあの有名校の演奏を聴ける嬉しさ。いい場所はもう埋まっているので、3階、天井桟敷からはるかに望む、薄暗がりの中で浮かび上がる小さいステージ。(あの頃の照明は今よりも暗かった。そして、田舎モノのため、ホールでの演奏経験も少なかった。) そして、出演者がほぼ全員集まった中での結果発表。通路の階段まで鈴なりに詰め込まれた出演者達。
発表者がさっと片手を挙げ、金賞、と言い終わるや否やの
キャーーーー!!!!
という悲鳴、歓声。抱き合い、涙とともに喜ぶ生徒達。
あの、独特の熱気。残念と歓喜の交錯する何とも言えないあの雰囲気。
それが今のキタラでの全道大会にはない、のだ。全く無いわけではない。が、ホールの中で結果発表を聞くのは、せいぜい2~3団体だ。
結果発表のドキドキを、直接聞くところまでが全道大会だと思うのだ。
あの熱気と緊張感を今の子供たちにも味わって欲しい、と思うのだ。
そして何より、他校の演奏を聴きくことこそがレベルアップに繋がると思うが、どうなのだろうか。
CDで十分、と言う事なのだろうか。
by robano-ana
| 2007-09-03 19:36
| 雑記